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EP8総括

少し感動が落ち着いてきた所でプレイメモを読み返しつつ、ぐだぐだと語ってみました。

長いです。
カオスです。
結構ベルンさん的視点もあります。

それでも平気だという方は、お暇な時にでもどうぞー。



ここまで追ってきて、長かったような短かったような。
私はそれでもEP5で入ってきた読者なので、だいぶ遅い新参者ですが……途中であまりの絶望まみれの世界に何度も「もう読めない」と感じながらも、完結を見届けられて本当に良かったと思います。
竜騎士先生、ありがとうございました。
それから登場人物の皆にも、ありがとうと言いたいです。

確かに「うみねこ」は、その物語の特性上どこまでも斜に構えて見ることも出来る特殊な作品です。
だけど冷めた心では読ませないぞという熱さに溢れていて、同時に恐ろしく私を引き込む魅力に溢れた作品でもありました。

EP1を体験版でやったのは、「無料でたっぷり楽しめるなら」と興味本位の偶然だった。
お茶会でぽかーんとしたのも良い思い出。
その後間もなくアニメ化の話を聴いて何となくEP4のパッケージを手に取り、それで気ままに読んで行く間にハマってしまった。
早く続きがしたいのに、再入荷の時期がずれEP5がなかなか手に入らず悶々としたり。
あまりのEP6のフラグっぷりに騒いだり、EP7のずっとウィルリオとクレルのターンに呆然としたり。
……何だか、走馬灯のようですね(笑)



真相については、はぐらかされたような気もします。
ただしその代わり、今読み直したら少しは解けるような気もします。
今回のクイズやベルンのゲーム盤が、ある意味ではその指針になってくれた気がする。ベアバトヒントは多少見ちゃったけど、それでもベルンのゲームが自分なりに推理して解けて凄く嬉しかった。
とりあえずEP1から、改めて謎に挑んでみようと思います。
だけど戦人が縁寿から隠し、縁寿が覗いてしまった「あまりにもあっけない真相」に関しては保留としたい。
惨劇が起こってても起こってなくても、縁寿には関係なんてありませんでした。
多分それはプレイヤーの私達にも言えることで、「どうせ惨劇は起こったんだろう、こんなにも人間は汚いんだから」という穿った視点じゃなく見てみたいです。そうなったら手品エンドの、縁寿(とヱリカ)と同じになってしまうから。

やっぱり今回の物語で改めて、戦人と縁寿は「うみねこ」で一番大好きな兄妹だなぁと思いました。
この物語の主人公はベアトであり、同時に戦人と縁寿でもあった。ベアトももちろん好きだけど、物語の中とは言え裏お茶会で縁寿の元に「帰還」したのは戦人だし、クライマックスのベアバトを再会させたのは縁寿だった。
「黄金の魔女」が主役っていう点では、三人に当てはまりますけどね。
永遠に生き続ける「ベアトリーチェ」を繋ぐのが、過去の「ベアトリーチェ」の戦人であり未来の「ベアトリーチェ」の縁寿。
個人的にはEP8は、純粋に縁寿の物語として描ききってくれたのが嬉しかった。
兄妹の絆とか葛藤とか理解とか、そういったものを綯い交ぜにして二人がいる。ベアトはそれを咎めないし、優しく見守っている。
そんな構図が、完結を経てしみじみと胸を熱くさせます。



ただ一読者としては、縁寿と戦人の別離以降の物語=縁寿の作家を目指す未来=ベアバト入水シーン=「ゆかり」と「十八」の後日談=フェザリーヌの書いた「ボーナストラック的おまけ」に過ぎないと考えてます。
真の現実では、縁寿が自殺を留め生きる決意をするまでくらいが現実じゃないかな、と。
「手品」か「魔法」かって言ったら、本来の「うみねこのなく頃に」のテーマであれば「魔女VS人間」の構図を思い出さなくてはならない。
要するに前者を選んで、幻想を拒絶しなきゃならない訳です。
つまり後者を選んでしまった時点で、ミステリーを望む人間はファンタジーの主たる魔女に敗北したとも取れる。
「魔法」を選択することは冒頭で出てきた「お兄ちゃんの言葉を信じなさい」に通じるものがあって、あの時のベアトとのやり取りを思えば縁寿が最後の選択で飴玉の「魔法」を認めた瞬間に、「うみねこのなく頃に」は戦人率いるファンタジーに乗っ取られてしまった。
もっとも、それがあったからこそフェザリーヌの魔法=続きの物語を紡ぐ、が見られるのも事実なんですけどね;
問い掛けの「右手」と「左手」が紫の発言になってるのも、「ベアトリーチェは嘘をつく殺人者=犯人ですか、それとも真実を話す被害者ですか」ということなのかもしれない。

そこで縁寿という主人公=「反魂の魔女」の視点から解釈すると、EP4の捉え方とEP8の捉え方を融合することで「うみねこ」をミステリーにもファンタジーにもしない猫箱に収める手段が取れるような気がします。
EP4の縁寿なら、「私がどう思おうとも、魔法は存在するし『人ならざる者』も存在する」
EP8の縁寿なら、「私は真実を知っているけれども、それとは関係なく魔法も『人ならざる者』もどこかで私を見守っている」
……こんな感じ? 似て非なる捉え方です。
私達が「魔法」を選んでフェザリーヌの物語を見て「ハッピーエンド」万歳ということは、ぶっちゃけ「ニンゲンの負け」でしかありません。
でも「反魂の魔女」である縁寿がそう捉えるのは、決して負けでは無いんです。
ここに、フィクションを生きる縁寿とリアルを生きる読者との差があるような……あれ、言ってることが支離滅裂?

ともかく。
縁寿は既に作中で真実を知っていますし、戦人もそれに至ったようですし、「戦人の物語」や「縁寿の物語」、それに伴い「ベアトリーチェの物語」も終わったのでしょう。
しかし、「読者の物語」は終わっていない。
「ニンゲンの負け」で満足したら、魔女の家具なんですよね……EP2やEP3の戦人と同じだよ!!
だからここからは「魔女」の領域にいるベアトや戦人や縁寿では無く、原作者である「竜騎士先生」に挑まなきゃならない。言っちゃあれですけど冷酷に無慈悲に、そして手品エンドの縁寿とヱリカのように、真実を突き詰めなきゃならないと。
「EP8で皆とりあえずはハッピーエンドになったけど、それでいいの? ここで物語を畳んだら、魔女に屈服したことになるよ?」
これこそがきっと、原作者からの最後の挑戦であると考えてます。
や、厄介だな!(笑)
個人的には縁寿が選んだ選択肢は手品エンドでも魔法エンドでもおそらくは正しいけれど、ただのニンゲンで「探偵」に過ぎない読者はもっと突っ込まないといけないのかなぁと。
その上でゲーム盤を蹂躙する「山羊」を散々悪役っぽく描いた辺り、挑発とも取れます。



長くなりましたが。
これからもう少し余韻を噛み締めつつ、私なりにこの物語を解体していこうかと思います。
身も蓋も無いですが、「フィクション(=魔女)」と「リアル(=人間)」の対決として見れば、戦人や縁寿も含めて「『うみねこのなく頃に』の登場人物」というかこの作品そのものが「魔女」と呼べる存在なんじゃないかな。
つまり、本当に対決してたのは戦人とベアトでも、縁寿とバトラでも無い。
「フィクションとして綺麗に終わったこの作品を、読者がどこまでリアルに引きずり込んで『ミステリー』に侵食するか」が、本来の「魔女VSニンゲン」の構図なのではないでしょうか?
原作者+うみねこオールスターズVS読者。そんな感じで。

でも二次創作は、あくまで萌えありきの「二次創作」として続けます。
キャラが魅力的なのは思い知らされましたし、上でぐだぐだ書いてみてもやっぱり戦人と縁寿が好きなんだもんorz
現在連載してる話についてもそれぞれのEPまでの情報で、引き続きのんびりやっていきます。「原作の完結=全ての終わり」って訳じゃないんだぜ!
私自身ももうしばらく、書き続けたいですし。

以上、ひとまず今日の所は終わりとさせて頂きます。
ここまでの長々としたプレイメモを読んで下さった方、ありがとうございました!

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